マニラ

フィリピン共和国の首都

マニラ市は、フィリピン共和国の首都。メトロ・マニラとも呼ばれるマニラ首都圏に所属する都市です。
『東洋の真珠』などの美称があり、フィリピンがスペイン人によって植民地化された16世紀末よりフィリピンの首府で、独立後も一貫して首都でありつづけています。市域人口は178万人(2015年)、人口1,155万人を抱えるメトロ・マニラの中核都市です。さらに近郊を含む都市圏人口は2016年時点で2,293万人で、世界有数の大都市圏を形成しています。

中銀行や財務省、法務省など中央官庁が集まるエリア周辺位には、フィリピン最大の国立病院であるManila General HospitalやWHOマニラオフィスがあります。
マニラのサンミゲル地区には、大統領府のマラカニアン宮殿があります。フィリピンを統治してたスペイン人貴族の住まいとして作られたものです。フィリピン初代大統領のマニュエルケソンが入居してから、それ以降大統領官邸として機能しています。
現在のロドリゴ・ドゥテルテ大統領は地元ダバオにある自宅を使うことが多く、マラカニアン宮殿を使う機会が少ないそうです。

マニラ市にある最古の地区といわれるのが「イントラムロス」です。当時フィリピンを占領していたスペイン人により、16世紀に建設された城郭都市です。城郭の外と内側は明確に区別されていて、スペイン人の政治、軍事、宗教の中心地として機能していました。イントラムロス内にはいくつかのローマ・カトリックの教会(マニラ大聖堂やサン・アグスティン教会など)、女子修道院そして教会の運営する学校(サント・トマス大学、サン・フアン・デ・レトラン大学、アテネオ・ムニシパル・デ・マニラ大学(現アテネオ・デ・マニラ大学)など)があります。

マニラの中心に位置するリサール・パークは、フィリピン独立運動指導者ホセ・リサールの名前に由来する緑豊かな記念公園です。
リサール・パークの向かいにはあるマニラホテルは、1912年創業のマニラで最も歴史ある5スターホテルで、アメリカの統治下にあった太平洋戦争中、マッカーサーが宿泊していたホテルとして有名です。マッカーサーが利用していた部屋は「マッカーサールーム」として今でも実際に宿泊することができます。
マニラホテル反対側には、アメリカ大使館があります。

マニラには世界で最も古いチャイナタウンの一つ「ビノンド」があります。1594年にスペイン政府によって作られたこのチャイナタウンは、イントラムロスの近くにあるパッシグ川を渡った場所に位置しています。
スペイン植民地時代、中国人はイントラムロス(城壁都市)に住むことが許されていませんでしたが、商売のためにイントラムロス近郊に集まったことが、チャイナタウン形成の始まりだと言われています。第2次世界大戦前はフィリピンで最も栄え、特に銀行や保険会社を含む金融産業の中心地でした。

「ビノンド」の横にあるキアポエ地区には、フィリピンのカトリックの最大行事のひとつである「Black Nazarene(ブラック・ナザレ)」が開催されるキアポ教会があります。黒いキリスト像に触れると病気から守られると信じられていて、年に一度のこのイベントの時にはテロ対策のために、周辺一帯全ての電波が遮断されると言われています。

マニラ北部には、東洋最大のスラム街と呼ばれる「トンド地区」があります。
かつてスモーキー・マウンテンの名で知られるごみの最終処分場もこの地区に存在していました。
13代大統領ジョセフ・エストラーダ、現マニラ市長のイスコ・モレノ氏や、フィリピンの大物司会者バイスガンダの出生地として有名です。

マニラ市のメイン通りの一つであるタフトアベニューは別名「ユニバーシティーロード」と呼ばれるほど、フィリピンでも有数の大学がその通り沿いにキャンパスを構えています。その中には、フィリピンの慶應大学と呼ばれる「デラサール大学」も含まれています。

多くの日本人にとって馴染みがるフィリピンの街はマニラです。これはマニラにある最大の繁華街の一つマラテが関係していると思います。マラテには日本人が経営するカラオケバーが沢山あり、沢山の日本人観光客で賑わっています。

マニラ湾に面したロハスボリバードストリートから、世界でも有数のサンセットスポットに数えられる夕日を楽しむことができます。
現在進行中のマニラ湾ホワイトサンド計画が完了すると、新たな観光地として注目を集めるでしょう。

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